このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr
Clip to Evernote
Kindle

撮影雑記(9)2015/0727〜0801

text & Photos   青池 憲司    Post   2015.11.27

7月27日。第15次ロケ。震災後初めて乗る仙石線で石巻へ入りました。途中、電車は野蒜駅に停車します。高台にコンクリートでかためられた要塞のような造りです。眼下に草原がひろがり、はるか向こうにかつての野蒜駅が見えます。一之瀬正史(キャメラ)が新スタッフで石巻ロケ初参加の黄永昌(録音)に、かつて、震災2か月後に見た惨状を、やや興奮ぎみに説明しています。あの情景を語るときはいつでもきもちがたかぶります。野蒜から石巻までふたりの眼はずっと窓外に向けられていました。

石巻駅で地元の写真家阿部美津夫さんと合流し、現地宿舎として借りた大街道南の住宅へ。築46年で津波の被害もうけたが修繕して、他県からくるボランティアの宿泊所としてつかわれていました。その需要が減ってきて、どうしよう?というときに、わたしたちが管理人と出会って、借り受けることにしました。平屋、3室、シャワー、洗濯機、冷蔵庫、家具、寝具などの生活用品一式が揃っていて、うれしい条件です。

大家さんへのあいさつや室を整えたりしたのち、まねきコミュニティへ向います。本間英一さんはじめ住民さんに黄録音スタッフを紹介し、今回撮影の内容とスケジュールの打合せ。新門脇地区(門脇町2丁目〜5丁目)は道路工事とともに住宅地の嵩上げ(嵩上げ高は元の土地の高さで異なる)がかなり進んでいました。4丁目にいらしたお地蔵さんは、そのため近くの西光寺墓地の一画に仮越しされました。墓地は嵩上げしない、ということです。

道路は、下水管や側溝の整備をふくめ、寸断されたり継がったり、それが週替り月替りで、住民さんがふだんつかう生活道路もまるで迷路のようです。そんな住環境の日日の変化はまだまだつづきますが、そんななかで新築の家が2軒建ちました。2丁目の村上ちか子さん宅には93歳の母親がいらして、わたしは生きてるうちにどうしても門脇にかえりたい、との一念が関係者をうごかし建築が叶いました。しかし、周囲ではユンボやブルドーザーがうごきまわっていて、真に平穏な日日が訪れるのはまだまだ遠い先です。

宮城県石巻市
石巻市
宮城県石巻市
石巻市

7月28日(薄曇後晴)。大街道南宿舎での最初の朝。今回撮影の初日。撮影車輛「のだきた号」で新門脇地区(行政呼称)へ。第1シュートは、いつものように、門脇小学校西側丘上定点からの、原野と工事状況の俯瞰カット。ほぼ全域が震災祈念公園となる南浜町一帯は、砂利敷の工事用道路が走り、資材置場と土砂置場などが点在するほかは原野状態である。その原野のなかにいくつか沼地がある。流れ込んだ日和山の湧水と、太平洋(石巻湾)からの海水が混じりあった汽水と、雨水でできた小さな池というか大きな水溜りである。これまでもこの場所と水中のイキモノたちを撮ってきたが、きょうは濁っていて眼を凝らしても水面のミズスマシくらいしか見えない。水辺には蒲。まわりは丈の高い草草。人家が建ち並ぶ以前の原風景。炎天。暑。

3月11日を基点にして門脇・南浜の未来への変容とともに、このまち(地域)の成り立ちへ映画の視野を拡げていきたい。それは、二つの「まだ見ぬまち」である。

新防潮堤工事に進捗はない。鋼矢板打ち込み作業は、日和大橋にかかる手前(西側)で中断されたままである。現在の防潮堤のこの辺りに数十メートルの壁画が描かれている。平成17年10月16日と記されているから、いわゆる平成の大合併を記念して制作されたものであろう。あらたに石巻市立になった小学校の児童が描いている、遊泳する鯨が印象的だ。新防潮堤が完成すれば、この壁画は取り壊されるのであろう、か?

原野のなかの、ほんのすこし土地が盛り上がっているところに善海田(ぜんかいた)稲荷社がある。日和山に建つ鹿島御児神社の飛地境内社(本社の境内とは別の敷地に祀る社)で、古くからのランドマーク的存在であり、わたしたちの定点撮影地の一つである。津波の被害で小さな祠しか残っていないが花や供物が絶えない。撮影に行くと御児神社の若き宮司が除草作業をしていた。炎天。除草機音。暑。

お地蔵さんを二尊撮影した。一尊は「北向地蔵」で、原野のなか聖人堀の脇におわす。あの巨大津波の直撃にも倒れることはなかった。その由緒を尋ねてみたい。かつてのまちにはその向い側に門脇保育所があった。もう一尊は、門脇町4丁目の角にいらした「後町下地蔵」で、宅地の嵩上げや道路工事にともない、西寄りの門脇小脇に仮越し(仮の場所への引越し)されたことは前回報告にも書いた。震災まえは近隣の住民さんたちが講中をつくって念仏していたが、震災後はそれもかなわず、昨年は地域の夏まつりに集った人びとが講を営んだ。いまの場所は足許がわるく、ことしはどうなるのか。

門脇町2丁目の本間家土蔵とまねきハウスの辺りも宅地の嵩上げがほぼ完了している。そのあちらこちらに表示板があって、「宅盤T.P3.70」などと書かれている。(宅盤は宅地の地盤面のことで、T.Pは東京湾平均海面のこと、と聞きかじる)。建屋の三分の一くらいが埋もれて見える。

夕刻。遠藤佳子さんが愛犬とボール遊びをしていると、近所の小学4年生小笠原悠吏くんがチャリンコでやってきて、それにくわわる。和田家の菜園では枝豆が実りつつある。和田佳子さんの作業と話を撮る。「ここの畑が過去と未来の境です。北側は以前から見慣れた風景、南側は日日変っていく見慣れない風景。たのしみでもあり不安でもあります」「海からいい風が吹いてきますが、それをたのしむにはまだまだ時間がかかりそうです」

宮城県石巻市
石巻市
宮城県石巻市
石巻市
このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr
Clip to Evernote