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撮影雑記(11)2015/0727〜0801

text & Photos   青池 憲司    Post   2015.11.27

7月31日。午前は、93歳になる伊藤栄子さんをサービス付き高齢者住宅に訪ねました。彼女は門脇・南浜地区の隣、日本製紙石巻工場のある南光町のもうひとつ隣の双葉町に生れ育ち、そこに住んでいます。昭和3年に門脇小学校入学。小学生のころの通学途次に見た門脇・南浜地区の情景を鮮明に語ってくれました。その表情もことばもじつにゆたかです。そのご、市立高等女学校(現・好文館高校)へ進み、卒業後、団体事務所に、アジア太平洋戦争敗戦にいたるまで勤めました。石巻空襲の話なども出てきました。彼女の曾孫の酒井理子さんはことし3月に閉校になった門脇小学校のさいごの卒業生です。前作『津波のあとの時間割〜石巻・門脇小・1年の記録〜』は、理子さんたち3年生の教室(年間授業「よみがえれ南浜」)を中心に構成されています。曾祖母と曾孫と……ご縁です。それにしても、伊藤さんの記憶の濃さと語りの朗らかさに感心しました。往事茫茫ではなく往事閃閃です。

ロケーションでは昼食が大事です。何を何処で食べるかよって午後の撮影に障りがでる、なんてことはまずないが、やはり小事ではありません。石巻で、門小映画のころからこれまで、何回の外昼めしを食べただろうか。おそらく300回は下らないでしょう。撮影場所に近い食堂を選ぶのが基本ですが、ちょっと時間があるときは、そのとき食べたいもののお気に入りの店に出かけます。和・中・蕎麦などのそれぞれに好みの店が何軒かあって、ときに選択に迷います。きょうはアイトピア通りの「もり家」で、わたしはカレーそば。この暑い最中に……でも、ロケ期間中に一度はこれを食さないと不満がのこります。

午後は、川開き祭りの初日をアイトピア通りで撮影。スタッフ3人で歩いていると、震災後にお付き合いのはじまった地元の人たちに次々と出会います。みなさん、2011年6月に石巻入りして、門小映画2部作の撮影でご協力いただいた方や登場人物です。この日のために非被災地からやってきた関係者知人とも思いがけなく。祭りの日日は復興支援者同窓会のような趣もあります。

「川開き祭りは伊達政宗公の命を受け北上川を開削し、石巻に港を開いた川村孫兵衛重吉翁に対する報恩感謝の祭りとして始められた90年も続く、由緒ある祭りです。7月31日は供養祭を中心に、8月1日は、陸上パレードや花火大会など、復興への祈りを込めて開催します。」
(観光案内からの引用)

中心市街地(アイトピア通り〜立町大通り)で行われた「千石船パレード」(石巻千石船の会)を撮影。まねきコミュニティの本間英一さん、阿部豊和さんが参加しています。震災後に初めて復活した七夕飾りが叢林のようにストリートを囲み、そのなかを千石船パレードがやってきます。大きな七夕飾りが風に揺れて文字どおり風情がありました。

夜は、まねきコミュニティの人たちが、新スタッフ黄永昌(録音)の歓迎会を開いてくれました。海鞘(ほや)、蟹、菜園で採れた野菜の数々、各家庭のお得意料理などなど。美酒佳肴で大いに話が弾みました。みなさんに感謝。

8月1日。まねきコミュニティの阿部公夫さん和子さん夫妻にインタヴュー。「人がふえなければまち(コミュニティ)の発展はない。そのためにも、旧門小校舎をどうするかなど懸案の問題に早く結論をだしてほしい」。

きのうにつづいて「川開き祭り」を撮影。まちなかの賑い、空ではブルーインパルスの飛行、旧北上川では孫兵衛船競漕、まちなかでは小学生鼓笛隊パレード、金華山龍(蛇)踊り奉納、みこしのパレード、桃生はねこ踊り、などなど多彩。この日も賑いのなかで何人かの知人に出会った。なかには、病躯をおして杖つきながらの年長者もいて、(わたしと)手を取り合ってしばしの立ち話。われにもなく、あの日からの歳月を思う。昼食は「南華園」で炸醤麺。ここは旧門小児童の祖父母のお店です。

炎天下の撮影つづきで、わたしたちもかなりヘロヘロ状態。まねきコミュニティの日陰で休憩。遠藤佳子さんに朝採れの冷しトマトをいただく。かぶりつく。まるかじり。うまい。力が湧く。夕刻、本間信子さんが、嵩上げされた土地に移植した樹木に水遣りをしていました。現状ではホースを使えないので幾度も幾度も如雨露に水を汲んで。この情景をアップショット(近景)とロングショット(遠景)で撮影。おなじ行為が異なって見えます。

夜は、中瀬公園で打上げる花火を、本間さんの家族やまねきコミュニティのみなさんといっしょに、撮影かつ見物。第92回の石巻川開き祭りは大団円を迎えました。門脇町2丁目から1丁目の旧北上川沿いの更地が恰好の見物場所です。そこまで、街燈もない迷路のような仮設凸凹砂利道を、ぞろぞろと歩いていきました。要所要所に警備員がいて誘導してくれはしたが、昼間でもナンギする通行路です。いま、この辺り一帯の道路は工事車輛優先で造られていて、人が歩く、自転車が走る、道としては機能していません。いっとき夜空は明るく華やいだが、一歩一歩踏みしめながらの夜道はつづきます。

宮城県石巻市
石巻市
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