撮影雑記(13)2015/0830〜0902
text & Photos 青池 憲司 Post 2015.12.21
8月30日。曇雨曇。東京都新宿区大久保地区で活動する「多文化学校」のメンバーと国会前へ。安保法案反対の衆人のひとりになる。のち、夕刻の東北新幹線やまびこで仙台、仙石線快速を乗り継いで石巻へ入る。
8月31日。曇。門脇町2丁目の本間家土蔵の曳家作業を撮る。この土蔵について、現当主本間英一さんのエッセイを引用する。
「3.11の津波により被災した本間家土蔵は明治30年(1897)の建築で、本来は江戸中期から続く武山家の土蔵だった。私の祖母は武山で祖父が本間であり、大正15年(1926)に本間家が引き継いだ。津波により、我が家のほとんどの家屋は倒壊、流失で失われたが、この土蔵だけは運よく残った。
津波の後、この土蔵に初めて足を踏み入れたのは平成23年(2011)3月24日で、土蔵の内扉3枚は内側に倒され、1階部分は天井まで水に浸かった跡があった。取りあえず息子たちと貴重なものを運び出した。最初は土蔵を残すつもりで整理作業をしていたが、周囲の解体が進むにつれ、このままでは将来復興の障害になるのではないかと思うようになった。
4月2日に解体することにし、貴重な古文書などを保存するため、文化財レスキューの要請を翌3日に平川新先生へ電話で連絡した。折よく平川先生も石巻方面へ来る予定を立てており、4日には平川先生ら6名の方々が土蔵の下見に来た。」
そのごの土蔵保存にいたるプロセスは、『3.11震災遺構 本間家土蔵修復の道のり』(宮城歴史資料保全ネットワーク第220号)をご覧いただきたい。貴重な報告です。
さて、曳家である。8月初旬にはじまった準備作業をへて、いよいよ土蔵がうごく。1m70cmほどジャッキ上げされた、重さ約80tの土蔵の下に3本のレールが敷かれ、土蔵を載せた鉄鋼製のコロ付き土台に巻いたワイヤを作業員が捲き取る。ウインチ・ハンドルの一引きで約1cmうごく。嵩上げされた約10m北側の引越し先へ数センチずつ、1時間ほどかけて移動した。そのご、レールを抜き、土蔵を地面高約30cmまで徐々に下げていくのだが、これはバランスをとりながら数センチずつ下ろしていく細かい調整を要する作業で、完了したのは昼休みをはさんで、小雨の振りはじめた夕刻であった。本間さん夫妻をはじめ、保存活動に尽力した邊見清二さん、まねきコミュニティのみなさん、市内外からの見学者が曳家作業の進行を見守った。
本間家土蔵は、その建屋としての価値もさることながら、江戸時代の什器(古いものでは文政期=約190年前)や古文書、明治・大正・昭和の武山家と本間家でつかわれた生活調度の数々が収納されている。その一部をことし2月に撮影させていただいた。
9月1日。曇小雨。本間家土蔵の曳家作業はつづいていて、撮影もつづくが、手間暇かけての進行なので、しばしこの現場を離れ、新門脇地区(行政呼称)の工事現況を撮る。
いまこの地区で、いちばん震災まえの姿をとどめているのは西光寺(浄土宗)と稱法寺(浄土真宗)、ふたつの古刹の墓地である。墓も津波で流されたり倒れたりして、修復新造したが、墓所のエリアは変らない。区画整理も土地の嵩上げもない。したがって、将来は、嵩上げされた土地に建てられる住宅と道路より低地に墓地がひろがることになる。その墓群の間を縫うように重機やダンプが往来する。ご先祖様も安まることがないであろう。
旧門脇小学校西隣の西光寺墓地の西側で新しい避難路の建設がはじまっている。その工事を撮るためのポジションをさがして、機材を担ぎ域内を歩く。車はつかえない。5m以上も高盛土された道路の一部と、嵩上げされた宅地の狭間の雨水が溜まった窪地を歩いていると、視界が遮られ、奈落にいる気分である。作業員のOKをもらって高盛土台地へのぼり、新避難路の登り勾配を撮影する。背後(南面)に目をやれば、人工の台地と工事用資材置場、ガレキの破砕処理場などが点在し、南浜祈念公園予定地は原野状態の草原、その向こうに太平洋(石巻湾)の海がある。海岸から約800m、震災まえに門脇・南浜地区から日和山(日和が丘)へのぼる階段とスロープは4か所あったが、いま、その整備と新設がすすんでいる。
南浜町の海寄りに善海田(ぜんかいた)稲荷社がある。日和山の鹿島御児神社のお旅所で、2本の老松と石の祠がこの地域のランドマーク的な存在であった。震災後定点観測風に稲荷社を撮ってきたが、きょう見ると、その老松が壊死しかけている。木肌が痛々しい。立ち姿はオブジェと化してサルヴァドール・ダリの絵を見るようだ。この二本松はいつの頃からここに立つのか。アジア太平洋戦争の戦後、昭和20年代末頃まで、この地は松林と田んぼと牧場などがあり、人家はまばらだったと聞く。東日本大震災の被災により善海田稲荷社の「原風景」がふたたび現れた、と語る住民さんもいる。
本間家土蔵曳家作業の現場へもどる。元の場所から約10mの移動が終って、台座に載った土蔵を地面に着地させる工程である。1回6cmずつ6回、土蔵の両端を交互に下げていく。ジャッキを入れ、枕木のような木材をのせ、楔や薄い木片で水平を取り、片端を下げ、ジャッキを外し、ジャッキを入れ替えて……という作業が繰り返される。8人の作業員が声を掛け合い立ち働いて、その過程はほとんど綿密な手仕事である。人の手のうごきと声。小雨が降りはじめた夕刻に曳家作業の全工程は終了した。
9月2日。曇後晴。門脇・南浜地区(*)のランドマーク的なものに「善海田稲荷社」があると書いたが、余所者のわたしが知る(推測する)範囲でも、ほかにふたつあって、それは「北向地蔵」(南浜町1丁目)と「濡仏堂」(雲雀野町1丁目=地元の人は「ぬれぶっつぁん」と呼ぶ)である。このふたつもこれまで定点観測風に撮影してきた。「北向地蔵」は、かつて原野にあった。アジア太平洋戦争の戦後から南浜町に人家が並ぶようになり、昭和30年代以降は増加の一途をたどった。お地蔵さんは、震災まえまでは住宅密集地の一画にあったが、いまはまた原野のなかにある。今回の地震と津波にも流されることはなかった。
「ぬれぶっつぁん」は、いいつたえでは、江戸時代元禄の頃(1688〜1703)、「この仏像を京都で鋳造し船で運ぶ途中、房州銚子沖で遭難し海中に没してしまったが、幾十年を経て、雲雀野海岸に漂着した。そこで、地元門脇村民が引き揚げて海上守護仏『濡仏』として祀った」とされている。この地へ運ばれる途中で行方知れずとなり、時を経て海のなかから現れ、この地の人びとに親しまれたが、こんどの津波でふたたび行方知れずになってしまった。海に還ったといわれている。正史に記述がない民間伝承であるが興味ぶかい。
(*)これまで、撮影エリアを表記する場合、「門脇・南浜地区」とか「原野」というように書いてきたが、正確には「門脇・南浜・雲雀野地区」であり、「原野」には南浜町の大部分と雲雀野町が入る。
まねきコミュニティ(門脇町2丁目〜5丁目)の活動のひとつに「健康体操教室」がある。毎週水曜日の午前中に1時間半ほど行われていて、毎回20人前後の住民さんが参加する。趣旨からいって高齢者がほとんどだが、みなさんすこぶる積極的である。いまはこの地域にいない人も車でやってくる。メニューは、ストレッチ体操、ダンベル体操、顔や腕などのマッサージ、歌に合せてのお手玉遊び、血圧測定など。そしてもちろんお喋り。これなくてなんの教室ぞ。わたし、3分でも黙ってたら死んじゃうわ、という女性もいる。ちなみに男性はふたり、常連である。おひとりは寡黙、おひとりは饒舌。おふたりともご夫婦で参加している。手足をうごかし、口をうごかし、顳?のマッサージでボケ防止になり、けっこうな集りである。(わたしもキャメラの後でときどきこっそり体をうごかす)。
人工的に変わりゆく風景を定点観測的に撮っているが、この教室も定期的に撮影している。毎月とはいかないが、もう4回くらいになるか。キャメラを介して一人ひとりと対話するのはよろこびだが、集団のなかで発揮される個性を視るのもたのしい。
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