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撮影雑記(15)2015/1111〜1116

text   青池 憲司    Photo  KIN
Post   2015.12.21

11日。晴。第19次ロケ。午後、石巻入りして大街道の宿舎で荷を解く。まねきコミュニティへ。いつものようにまずは本間英一さん信子さん夫妻にあいさつと近況の交換。撮影開始。高盛土された宅地の上で遠藤佳子さんと彼女の愛犬モモがボール遊び(運動)をしている。背後は土砂を積み上げた工事現場と茫茫たる原野である。非日常的風景のなかの日常的光景。いや、非日常と思われていた事象もいまは日常と化している。その向こうに太平洋(石巻湾)が望見できる。佳子さん「震災直後は海がこんなに近かったかとびっくりしたが、いまは見えるのがあたりまえ。でも、防潮堤ができるとまた見えなくなって、それが恐い。堤防の高さに違和感をおぼえます」。この季節の日差しは午後3時になればもう斜光だ。芒と墓を撮る。4時をまわれば残映。この地の夕景を数えきれないほど見ているが、おだやかな夕暮れにめぐりあったことはあまりない。きょうも非情な色合いの残照を撮る。

夜。まねきコミュニティ役員会。10人の役員が出席。議題は、15日に行われる市主催の総合防災訓練の進行打合せ、周辺工事の進捗状況について、来春以降に予定される新門脇地区の新町内会についてなど。物事が寄り合いの活発な議論で進展していく。終了後は懇親会になり持ち寄りの手料理と酒でさらに話は弾んだ。撮影スタッフもお相伴にあずかる。

12日。晴。早朝、東京からの深夜バスで石巻入りした金原雅彦(青池組公式サイトの管理と広報担当スタッフ)が合流、大街道宿舎に荷を解く。石巻専修大学へ。

以下、撮影に同行した金原スタッフのレポートを転記する。

「石巻専修大学で、『門脇町・南浜町の復元立体模型』を撮影しました。これは同大の復興プロジェクトの一つとして、3Dプリンタを活用して半年以上を掛けて製作されたものです。この模型が今後、「南浜つなぐ館」(今月11/22門脇町にオープン)に移設展示されることが決まったので、その前にじっくり撮影させてもらおうということです。保管されている理工学部の作業教室は、倉庫のような感じで照明も少なく窓からの外光も安定しないので、今回の青池組ロケでは初めて(?)となる照明機材を持ち込んでの撮影となりました。
 間近で見る復元模型は、その精密さに驚かされます。詳細は石巻専修大のプロジェクト報告書などに詳しくありますが、この模型の凄いのは被災前の街の立体データを基に出力しているので、とにかく「そのまんま」だということ。俯瞰して見ていると、まるで飛行機から見下ろしているかのような感覚になります。形だけではなく、色あせてしまったもののその色彩も忠実に再現しているとのこと。今では『原野』となってしまったかつての街のイメージを、この模型でつかむことができます。」
宮城県石巻市
石巻市

13日。晴。10月ロケで柿の皮むきを撮影した佐藤正さんの干柿を見に行く。佐藤さんは、いつものように家の玄関脇で煙草を吸いながら日向ぼっこをしていた。干柿は2階のベランダに吊るしてあって、撮影したいというと、食べるかといって持ってきてくださった。ありがたく頂戴する。区画整理による新道路の側溝工事が家の軒先にまで迫っている。話はおのずと工事の進捗状況になり、「毎日こうやって見てるが進まないねえ。作業員がチラホラだもの。オリンピックのせいかね」。実情はどうあれ心情に共感。

佐藤さんの家のある門脇町2丁目から西へ向って、道路工事や嵩上げ盛土した宅地の地盤整備などの現状を撮っていく。この地域には2丁目に西光寺が、3丁目に稱法寺があって、その周囲と4丁目の旧門脇小学校西側にまで墓が広がっている。将来、新しいまちができたとき、墓地の占める割合にあらためておどろかされるのではなかろうか。

旧門脇小前辺りから西へ仮歩道が新設され、その道をたどって行く。西光寺墓地の横を開削して日和が丘へと通じる新避難路の工事が進み、西街区にできる復興公営住宅(90世帯)の工事がはじまった。東街区の復興公営住宅と合せて150世帯(いずれも来秋入居開始)、戸建て住宅をふくめて400世帯があらたなコミュニティの予定戸数である。

以下、金原スタッフのレポート。

「11/13晴れ。門脇町と南浜町は工事の真っ最中なので、その進捗に従って道路の付け替えが何度行われています。通行には、大きな仮看板の案内が頼りです。石巻駅前から沿岸部を循環する路線バスも、現在は工事地域内のバス停は閉鎖され海岸線方面に大きく迂回するルートへと変更になっています。網地島のフェリー乗り場バス停もまた別の工事のために移設されていました。」
宮城県石巻市
石巻市
「いま門脇町と南浜町では、沿岸近くの防潮堤工事、山麓の新道路や仮道路敷設の土木工事、復興住宅の建設、宅地の盛土造成など、いろいろな工事が同時並行して行われています。どこがどう動いているのか、たまに来てちょっと見ているだけではなかなか把握も難しい風景です。」
宮城県石巻市
石巻市
「旧門脇小学校正門横のイチョウです。たくさんの葉が茂り、紅葉間近という感じでした。実はこのイチョウの木は、津波で浸水し、さらにはその後の火災でまる焦げになった木でした。それでも数ヶ月後(2011年7月)には芽生えが現れ、その生命力には驚かされたものでした。この芽生えを発見した門小の校長先生はそれを1学期の終業式で紹介し、その様子は映画『津波のあとの時間割』にも登場してきます。その木が4年半でここまで復活するとは、信じられない思いです。震災の証言者として、貴重な存在ですね。」
宮城県石巻市
石巻市
宮城県石巻市 2011年7月
石巻市 2011年7月

15日。小雨後晴。平成27年度石巻市総合防災訓練。

*ステージ1=市内一斉の地震・津波避難訓練
*ステージ2=地域の自主的な災害応急対策訓練

ステージ1の避難訓練の様子をまねきコミュニティの一画、門脇町2丁目の友和会(町内会)エリアで撮る。訓練は午前9時すぎに三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生、沿岸部に大津波警報が発表されたと想定して実施された。同エリアに点在する住居から出てきた人びとは、山裾の石段から日和山へ登った。その中途に「自力龍王大権現社」があり、近隣からは5分〜10分ほど。紅い鳥居が目立つこの鎮守は、あの日に、多くの人びとが難を逃れた第1次避難場所である。集った住民さんは十数人だが、このエリアの現状をみれば参加率は高い。みなさん、それぞれのことばで3月11日をふりかえった。おのおのの体験をくりかえし語り合うことでコミュニティの記憶になる。

ステージ2は、まねきコミュニティ全体の炊き出し訓練を撮る。ここでは、被災直後から、住民自身の炊き出しが行われていた。この地域にはしばらく救援物資が届かなかったからである。炊き出しをはじめとする助け合いが、そのごの「まねきコミュニティ」結成へとつながった。

宮城県石巻市
石巻市

門脇町2丁目の高盛土された宅地で地鎮祭があった。震災後では4棟目の住宅が新築される。もともとこの地に住んでいた家族の帰還である。まねきコミュニティの本間英一さんと阿部公夫さんがお祝いにでかけた。午前中しょぼついていた雨が上がった。

宮城県石巻市
石巻市

16日。晴。「新門脇地区復興街づくり協議会」の第35回会議を撮る。協議会は震災後の2012年3月に「門脇町復興街づくり協議会」として設立された門脇町2丁目〜5丁目の住民組織である。門脇小映画二部作製作時にも何度か撮影し、『津波のあとの時間割』ではコミュニティ活動の一環として構成した。協議会の撮影は3年半ぶりである。役員の顔ぶれはひさしぶりにお会いした方もいれば、いまのまねきコミュニティでおなじみの方もいる。議題は、「新しい町内会、町名区域について」、「震災遺構に係る市長との協議について」など、新門脇地区のまちづくりに関わっての具体的な話し合いが行われた。会議には市職員とUR都市機構職員も出席していて、住民との質疑応答があった。新しいコミュニティづくりの進行が加速されるこれから、「新門脇地区復興街づくり協議会」の重要性がさらに増していく。

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